私の中にある美しいもの。
日曜日、坂爪圭吾さんが開催されている【わたり食堂】にお邪魔するため、熱海に行ってきた。 朝から雨がかなり降っていて、熱海駅からバスに乗り換え最寄りのバス停から歩く道のりは、白い霧の中を歩いた。
脇道をぬけ緩やかな坂道を下ったり、また小道に入って行く中の霧の向こう側に、熱海の海が広がっていて吸い込まれそうで。また天気の良い暖かい昼間に歩いてみたいなぁ〜って思った。全く知らない土地で静寂と小雨になり真っ白な霧に包まれた街並みを歩きながら、色んな事を感じる。
ちゃんとその場所は存在しているのかなぁ〜っていうワクワク感、分からないけど進んで行くドキドキ感、知っている人が全くいない中に入って自分を晒すことへのソワソワ感、行こうと思えばそこに今来て立っていられる自由、たぶんそこにたどり着けるよな!っていう漠然とした安心感。
ここでわたり食堂が本当にやっているのかなぁ〜?って不安を感じつつ、家の扉を開けようとした瞬間、そこに扉を開けて外に出るタイミングだった坂爪さんが目の前に現れた。
blogの言葉の世界に存在していた坂爪さんは、その瞬間から体温や声や表情という音色を感じられる、リアルな存在になった。
わたり食堂に来ていた方に「なぜ初めてで1人でここに来ようと思ったんですか?」っと聞かれた。
ある人にとっては何かを聞きたい、日常から離れたい、癒される場所。
ある人にとっては何だか楽しそう、どんな食べ物が集まるんだろう、どんな人がいるんだろうって予測不可能な場所。
ある人にとっては何者にもならないで居られる場所かもしれない。
人それぞれ感じている事は分からないけど、私はblogの言葉の中だけじゃなく、会ってその人のリアルな存在感を感じたいと思う人には、今回に限らず出来るだけ直接会いに行っている。
最近自分の中でハッキリした感覚だけど、
私は人間味を感じる、感じられる人との関係が好きだし大切なんだって事。
昔からそうだったけど、表面的な付き合いはしたくないし、出来ないんだよね。
知り合ったその後、頻繁に会ったり交流できなくても、私の中で大切な出会いだったと思える人達の事は、よく想いを巡らす。
あれからどうしているのかなぁ〜、元気でいるかなぁ〜、最近ちょっとどうしてるかやけに顔が思い浮かぶけど何かあるかもなぁ…って。
ちなみに私は、本当に、やっと、笑
元気になりました〜〜!
坂爪さんにも「最近どうですか〜!」って聞かれたけど 笑
この日はハワイで仲良くなった友達と東京駅で約束があったから1時間弱という、かなり短いわたり食堂での時間だった。
私はいちごを持って行きそれを台所で勝手に洗い、ヘタをとり紅いいちごを紅い漆器に並べる。横にいた初めて会った女の子に「斬新ですね!」っと言われ、2人で笑った。
いちごは瞬殺でなくなった 笑
手作り餃子と熱海で漁れたお刺身を少し食べて、blogを読みながら想像していた【私が思う熱海の家】と目の前の光景を擦り合わせ、感じ味わう。楽しいよね 笑
坂爪さんとは面識も繋がりも今まで全くなく、今回初めてお会いしたけど時間もなくて、あまりお話できなかったけど。
そんな私に坂爪さんがかけて下さった言葉の中で印象的だったものが、2つある。
(印象的であり、動揺した言葉かな)
生きていて良かったですね!
お会いして直ぐの早いタイミングでの言葉。
どちらかというと「あの頃諦めずに生き抜いてくれてありがとう!」的な雰囲気とニュアンスを纏う、生きてて良かった、っていう言葉だったように感じた。
この前書いたように、メンタルの薬を飲みながら自分自身のコントロールが効かない、バランスを失った日々は、何度となく自分を諦めようと思った。でも、生きることを選んだ。
それを知っているみたいに、良かったですねって。
My name is Momo. - My own life
「元気になって良かった」と言ってくれる人もいるし、「生きていてくれてありがとう」
「生まれてきてくれてありがとう」っと言ってくれる友達もいる。
私は病気になった事で、自分にそんな言葉でお礼を言ってくれる人がいるんだって事を知った。自分が存在しているだけで、お礼を言われる世界を知ったんだよね。
自分の中にある美しいものを、ちゃんと認めてあげてくださいね
友達との約束があって東京へ戻るためにバス停に向かうっという私を、夜道という事もあって送って頂いた。
バス停で、握手をしましょう!っと握手をした後、徐ろに私の頭に手を置く。
その手のひらから何かを感じとるように、思考を鎮めるように。
その後バスが来て、少しの間をおいて
「自分の中にある美しいものを、ちゃんと認めてあげてくださいね」っと。
バスは止まって扉はもう開いていたから、お礼を言ってバスに乗った。
熱海駅から東京駅に着くまでの2時間、
(新幹線じゃないから) 長い!って、感じるようで感じなかった。
私の人生の中で「美しいもの」っという概念は、もの凄い頻度で登場する。
それは私の口からも、周りの人の口からも。
ただ単に私の感覚が美しいと感じるものを捉え、表現して行くという意味に留まらず、
人の中に元々ある部分や在り方まで、その「美しい」っという概念が私にとって、どれほど重要な事か。
改めてそれを感じた言葉だったけれど、それを頭で理解しようとするのはやめた。
出来るだけ感じる事にシンプルでいよう!
そう思う。