Self discovery

それでもまた、花は咲く。

心の自由。

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昨日も今日も湘南は凄い強風で春の嵐って感じ。先月から私自身の心も嵐のように乱れてるな。心が乱れると、すぐに体調や痛みにあらわれる。本当に人の体って精密だと痛感するけど、昔はそれに気が付きもしないほど鈍感に過ごしてたな。

半年くらい前までは痛みが酷くなると”何がいけなかったんだろう”ってすぐに原因を考えてた。そうやって1つ1つの”痛みという現象''に、体が教えてくれているんだから何かに気がつかないとって日々囚われてた。そう、囚われている状態。

同じことでも教えてくれてるんだな!っていう軽やかでシンプルな受けとり方。それはすぐに固く握りしめる手を緩める練習。

 

私が生まれ育った場所はとっても便利で都会の真ん中で、自然なんて感じられなくて。テレビ塔っていう電波塔の足元に家があって。

便利な環境に慣れていたから、仕事で東京に引っ越した時もなんの抵抗も無かった。ファッションやアートが好きな私は、都会が大好きだった。

でも今ではたまに乗る満員電車で気分が悪くなったりする。

今も感性を刺激される街が好きなのは変わらないけど、住む場所は自然に触れられる海とかが近い場所が良いなって思う。

 

5年前に心も体も辛い時期が長くてどうしようもなかった時、幼なじみの友達に”今までのオマエにはなかった事をやってみろ。都会育ちだけど本当は都会が合わないのかもしれないぞ”っとアドバイスをもらった。

その1週間後に私はオアフ島ではなく、行った事がなかったハワイ島に3ヶ月近く過ごす為に飛行機に乗った。

その時の生活で自然の中に身をおく事の大切さを実感した。

絶対にこうじゃなきゃダメなんだっていう拘りが多めな私だけれど、身動きがとれないような縛りになるものは少しづつ減らして行こう。

美しいものが好きで、それを何かで表現する時の拘りは私の個性として残しつつ、生きづらさになる拘りは意識的に離して行こう。

 

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”病気を治したい”  ”痛みから解放されたい”

長い間体調が良くないといつの間にか生きる目的や目標が、そんな事になって。それじゃ毎日が楽しくなくて、病気は良くなっていかないよって今はわかる。

 

アメリカから帰国してからの私は、もの凄く自由な状況で。仕事も子育てもない環境で、毎日が自由に過ごせる。安心して体調を整えられる環境を作ってくれる彼に感謝で、毎日をゆっくり過ごしている。

環境がどれほど自由でも人は心が自由じゃないと自由じゃなくなる。ある程度の拘束がないと自由が感じられない、本当の自由がわからなくなる。少し不自由なくらいで安心さえ覚える。

 

”キミが自由に決められるんだよ”

いざ、そう言われると慌てちゃうんだよね。

いきなり、そうなんだ!って重ね着してたものを脱ぎ捨てるのは勇気がいるし、どうやるの?って感じだけど。それでも、1枚づつ腑に落としながら脱ぎ捨てていく。

 

脱ぎ捨てなきゃ、楽しまなきゃ、病気が治らなきゃ、この場所じゃなきゃ。

そうやってつい、手を握りしめる習慣がまた私を不自由にさせる。それでも、また手を緩めていく。力を抜いていく。その繰り返しだよ。

 

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 写真@Sedna