極彩色の世界観に歓喜した夜
この前、Coldplayのライブに行ってきた
Coldplayのライブは何度行っても最高だけれど
今回は今までの中で1番素晴らしかったなぁ
本当に
ただ、楽しかったな〜って終わる感じじゃないんだ
何だかもう、心が満たされて
幸せと感動でいっぱい
あのライブで物足りないなんて感じる人
いないんじゃないかなぁ
もうこれ以上やれることはない!
ってくらいの演出、パフォーマンス
5万人を楽しませて、ツアーで世界を周る
彼ら本人達も楽しむ
本当に、プロフェッショナルだなぁ
色とりどりの光が
いく通りもの光が
空間を照らし
色とりどりの紙吹雪が
鳥や星やいく通りもの紙吹雪が
空間と彼らと私達の上に舞う
桜が散るように
スコールに降られるように
あたりが見えないくらいに
炎が上がり
花火が上がり
たくさんのバルーンが飛び
たくさんの観客が跳ぶ
5万人の光のブレスレットが
カラフルに光を放つ
5万人の観客みんなで
ライブの演出の一部になれる
歌い、叫び、踊り、跳び、天を仰ぐ
私にとってColdplayの楽曲は
色々な街で
色々な感情で
色々な状況で
いつも共に過ごしてきた
どうしようもなくドキドキする時も
どうしようもなく落ちこむ時も
どうしたってニヤニヤしちゃう時も
どうしたって不安な時も
どんな状況だって
どんなキミだって大丈夫なんだ
力をぬいて
地球に存在する美しいものを感じてごらん
そんな風に感じられるんだよね
何色もの極彩色で彩られた演出を観ていると
何色もの、何種類ものお花を組み合わせて
空間を装飾する楽しさ
色んなデザインや素材、色を組み合わせて
着こなす服の楽しさ
私はそういうもので自分の感覚を表現することが
本当に好きだなって
無数の紙吹雪が上から舞い降りてくる中で
天を仰ぎ、手を広げながら
実感した日だったなぁ!
私の中にある美しいもの。
日曜日、坂爪圭吾さんが開催されている【わたり食堂】にお邪魔するため、熱海に行ってきた。 朝から雨がかなり降っていて、熱海駅からバスに乗り換え最寄りのバス停から歩く道のりは、白い霧の中を歩いた。
脇道をぬけ緩やかな坂道を下ったり、また小道に入って行く中の霧の向こう側に、熱海の海が広がっていて吸い込まれそうで。また天気の良い暖かい昼間に歩いてみたいなぁ〜って思った。全く知らない土地で静寂と小雨になり真っ白な霧に包まれた街並みを歩きながら、色んな事を感じる。
ちゃんとその場所は存在しているのかなぁ〜っていうワクワク感、分からないけど進んで行くドキドキ感、知っている人が全くいない中に入って自分を晒すことへのソワソワ感、行こうと思えばそこに今来て立っていられる自由、たぶんそこにたどり着けるよな!っていう漠然とした安心感。
ここでわたり食堂が本当にやっているのかなぁ〜?って不安を感じつつ、家の扉を開けようとした瞬間、そこに扉を開けて外に出るタイミングだった坂爪さんが目の前に現れた。
blogの言葉の世界に存在していた坂爪さんは、その瞬間から体温や声や表情という音色を感じられる、リアルな存在になった。
わたり食堂に来ていた方に「なぜ初めてで1人でここに来ようと思ったんですか?」っと聞かれた。
ある人にとっては何かを聞きたい、日常から離れたい、癒される場所。
ある人にとっては何だか楽しそう、どんな食べ物が集まるんだろう、どんな人がいるんだろうって予測不可能な場所。
ある人にとっては何者にもならないで居られる場所かもしれない。
人それぞれ感じている事は分からないけど、私はblogの言葉の中だけじゃなく、会ってその人のリアルな存在感を感じたいと思う人には、今回に限らず出来るだけ直接会いに行っている。
最近自分の中でハッキリした感覚だけど、
私は人間味を感じる、感じられる人との関係が好きだし大切なんだって事。
昔からそうだったけど、表面的な付き合いはしたくないし、出来ないんだよね。
知り合ったその後、頻繁に会ったり交流できなくても、私の中で大切な出会いだったと思える人達の事は、よく想いを巡らす。
あれからどうしているのかなぁ〜、元気でいるかなぁ〜、最近ちょっとどうしてるかやけに顔が思い浮かぶけど何かあるかもなぁ…って。
ちなみに私は、本当に、やっと、笑
元気になりました〜〜!
坂爪さんにも「最近どうですか〜!」って聞かれたけど 笑
この日はハワイで仲良くなった友達と東京駅で約束があったから1時間弱という、かなり短いわたり食堂での時間だった。
私はいちごを持って行きそれを台所で勝手に洗い、ヘタをとり紅いいちごを紅い漆器に並べる。横にいた初めて会った女の子に「斬新ですね!」っと言われ、2人で笑った。
いちごは瞬殺でなくなった 笑
手作り餃子と熱海で漁れたお刺身を少し食べて、blogを読みながら想像していた【私が思う熱海の家】と目の前の光景を擦り合わせ、感じ味わう。楽しいよね 笑
坂爪さんとは面識も繋がりも今まで全くなく、今回初めてお会いしたけど時間もなくて、あまりお話できなかったけど。
そんな私に坂爪さんがかけて下さった言葉の中で印象的だったものが、2つある。
(印象的であり、動揺した言葉かな)
生きていて良かったですね!
お会いして直ぐの早いタイミングでの言葉。
どちらかというと「あの頃諦めずに生き抜いてくれてありがとう!」的な雰囲気とニュアンスを纏う、生きてて良かった、っていう言葉だったように感じた。
この前書いたように、メンタルの薬を飲みながら自分自身のコントロールが効かない、バランスを失った日々は、何度となく自分を諦めようと思った。でも、生きることを選んだ。
それを知っているみたいに、良かったですねって。
My name is Momo. - My own life
「元気になって良かった」と言ってくれる人もいるし、「生きていてくれてありがとう」
「生まれてきてくれてありがとう」っと言ってくれる友達もいる。
私は病気になった事で、自分にそんな言葉でお礼を言ってくれる人がいるんだって事を知った。自分が存在しているだけで、お礼を言われる世界を知ったんだよね。
自分の中にある美しいものを、ちゃんと認めてあげてくださいね
友達との約束があって東京へ戻るためにバス停に向かうっという私を、夜道という事もあって送って頂いた。
バス停で、握手をしましょう!っと握手をした後、徐ろに私の頭に手を置く。
その手のひらから何かを感じとるように、思考を鎮めるように。
その後バスが来て、少しの間をおいて
「自分の中にある美しいものを、ちゃんと認めてあげてくださいね」っと。
バスは止まって扉はもう開いていたから、お礼を言ってバスに乗った。
熱海駅から東京駅に着くまでの2時間、
(新幹線じゃないから) 長い!って、感じるようで感じなかった。
私の人生の中で「美しいもの」っという概念は、もの凄い頻度で登場する。
それは私の口からも、周りの人の口からも。
ただ単に私の感覚が美しいと感じるものを捉え、表現して行くという意味に留まらず、
人の中に元々ある部分や在り方まで、その「美しい」っという概念が私にとって、どれほど重要な事か。
改めてそれを感じた言葉だったけれど、それを頭で理解しようとするのはやめた。
出来るだけ感じる事にシンプルでいよう!
そう思う。
I am MoMo
私はもう10年以上、働いていない。
バイトはほんの少し、したこともあったけど
ネイルチェンジが1回出来る程度のお金を稼いだくらいかな。
ファッションが好きで短大卒業後、アパレルのヨウジヤマモトというショップで働きその後、フラワー業界に転職した。
地元のフラワーショップで修業した後、東京に出てニコライバーグマンというショップで働いた。
仕事は好きだったし楽しかったけど、自分の心や体を顧みず働いて、生きてきた結果
私の心と体は”もう限界、これ以上やめて!”っと、強制終了がかかった。
それが今から10年以上前の事。
最初は双極性障害と診断されて、ドン底生活を6年以上過ごして、それでもまだ自分自身から目を逸らしてるよっと、甲状腺の病気になり、8年目くらいでリウマチだと診断された。
メンタルの薬を何種類も飲みながら過ごす日々は、ドン底だって思ってたけど心も体もボロボロで病気のオンパレードになり、もっとドン底があった。
でもね、今書きたい事や言いたい事って
”私はこんなに大変な思いをしました”って事じゃないんだよね。
私という人間はこんな事を考えたり、感じたり、過ごしてきたり、そして今やこれからを書いていこうって思うと、そこを隠したくないし。そこを含めた全てが、私っていう人間だから。
3つの病気になって、今もまだ働いていない私だけど。生きているし、生活も出来てる。
結婚して、離婚もしたけどね。
双極性障害を6年続けたある時、
”もういい加減治したいんだ!変わりたいんだ”って、思いつきでハワイ島で3ヶ月弱生活をした。それがたぶん、負の流れを変えるキッカケだった。
病気だけで日々が染まった結婚生活に、心配や世話をかけ、そして妻として全く役に立たない自分に耐えきれず、あり得ないくらい優しくて誠実な旦那さんだったけれど、私から離婚をお願いした。
独り身になってリウマチを治したくて、治療費やこれからの生活にお金が必要だけれど、全ての貯金を使って、自分自身に向き合う為に実家から出てアメリカで生活する選択をした。
こんな風に振り返って言葉にするのは、もの凄く簡単だけれど。不安や恐怖はハンパなく、
両親の反対や心配もまたハンパなかった。
リウマチは早い段階での治療開始と、治らないというのが常識の中で、私は西洋医学での治療を選択しずに、アテもなく単身アメリカへ行くと決めたんだから、無謀だと思う。
あの時だって両親の心配は分かっていたけれど、それでもやっぱり、よく送り出してくれたなって思う。
だって両親は過保護で過干渉なタイプだし、常識的で堅実な生き方をしてきているから。
正確に言えば”私を止められなかった、私が言うことを聞かなかった”っていう状況だったけれど。
リウマチ薬を飲まないという選択は、進行していくというリスクを自分が受けとめる事ができるか、っていう決断をする事だった。
そして大切なお金を今、自分がやってみたいと思う路に使ってしまって、その後に後悔しないと思えるか。
それも全て考えた上で、骨や筋肉がとても痛いのに行動に移したのは、
”やってみたいという強い気持ち”
”やらずにはいられなかった”
”根拠はないけど、たぶん大丈夫”
ただ、それだけだった。
今思えばそれを、
”自分への信頼”っとか
”自分の中から湧き上がる感覚に素直になる”
っと表現すると知った。
私がここまで書いてきた中で、1番言いたい事はソコで。
行動に移せない、どうして良いか分からないって焦る事はよくあるし、その時は本当にモヤモヤするけれど。
どれだけ過酷で時間がかかろうとも、やってみたいと思う事が見つかったら自然と、やらずにはいられなくなるんだって事。
まぁ私のやった事は、極端だったかもしれないけど。
自分をもの凄く信頼している!っていう実感が持てなくても、自分に素直になる事の日々の積み重ねが、結果気がつくとそれが信頼に繋がっていたと知るって事。
そして、自分ばかり大変だと思いがちだけれど
みんなそれぞれ、何かしら大変な思いをして、
それでも自分を信じ、他人を信じ、助けてもらいながら生きてるんだよねって事。
上がるだけでも、下がるだけでもない。
年齢や性別、国籍も関係ない。
みんなで生きてる、って感じ。
それで、ハワイとロサンゼルスで生活して帰国した今、私の3つの病気がどうなっているか。
双極性障害は断薬した後、完治。
甲状腺の病気はホルモン薬で一生コントロールと言われたけれど、メンタルの薬を飲まなくなったら数値が安定して、完治。
これは甲状腺の画像を撮ったら、初めから何かなっていた形跡すらなかった。
そしてリウマチは骨の変形もなく、激痛だった全身の痛みもほぼ無い。
長年動かしていなかった固まった筋肉を動かすと少し痛かったりする程度。
ただ、まだ完全に安定してはいないから、無理はしずにマイペースに過ごしてる。
絶対に病気を治してやるっていう強い気持ちは、治していく過程でとても大切だけれど。
100%の健康しか受け入れないってしてると、老いさえも悪になってしまう。
”今の自分の丁度いい”を探っていく事。
双極性障害も治りづらいし再発しやすいと言われ、甲状腺の病気も一生付き合うものだと言われ、リウマチも進行していくし治らないと世間では言われている。
でも私は治る病気だと思う。
治った人達、良くなってバランスが取れるようになった人達はたくさんいる。
自分達が常識だと思っている事も聞いた事も、本当に常識かは分からない。
誰かの正解が自分の正解でもなければ、
自分の正解もまた、誰かの正解でもない。
いくら人に言われたって、いくらたくさん学んだって、知識だけの理解で実感を伴わない間は、変わらない。
いつも自分に起こる出来事に対して、マイナスと思える側面ばかりに意識を向ける習慣は、例え関わる人や場所が変わっても、また違うと感じてしまうだけだ。
あ〜今の私はそう感じるんだねぇ〜。
明日は違って感じるかもね〜って力抜いて、自分が自分から目を背けず、上がったり下がったりしながら、自然に信頼できるようになっていくんだと思う。
京都へ行く。
京都に行ってきました。
HANANINGEN KYOTOをされている写真家、秋月さんの1DAYカメラ講座に参加したくて。
写真を撮るのは好きだけどカメラは持っていなくて、私は今のところiPhoneだけで撮っている。
アメリカで過ごしていた時も、撮りたいと思うけど体が痛すぎてiPhoneを構えることも出来なくて。撮りたいという気持ちも薄れてしまった。
友達の一眼レフを持たせてもらってもカメラが重いと感じ、私には無理だなぁって。
体調が良くなるにつれて、痛みは残りつつも写真を少しづつでも撮りたいという気持ちがやっぱり湧いてくる。
SNSで色んな人が発信している言葉と同じくらい、目にとまった写真はジックリみる。
何でもない様に思える写真から、何か物語や空気感、声や想いが聞こえてきそうな写真をみると、写真だけにもいいね、を押したりする。
言葉以上に写真から伝わってくるものが好きだなぁって感じることが、よくある。
花も写真もファッションも、好きだなぁって思うことはやっぱり、私は拘りたくなるし追求したくなるんだよね。
今回まだ自分のカメラを持っていないのにこのカメラ講座に急に参加したのは、カメラで写真が撮りたいと思っていた気持ちに”痛みがある”という理由で諦めていたくなかったから。
それと秋月夫妻に魅かれるものがあったから。
等身大の2人の姿をSNSで垣間見ている中で、光も闇も含めて私も頑張ろうみたいな気持ちになるっというか。
そしてHANANINGENという花を扱う活動をしているからだろうな。
色々な空間を作る楽しさ、花が持つ人を幸せにする力、癒す力、同じ表情が1つとしてない美しさ、花開いていく過程、無数の色や形や香り、そういう部分が好きで私は花の仕事をしていたなっと。
それと、自分の感性で創り出す喜び、表現する自分も、好きなんだって再認識する。
花が好き。
写真が好き。
ファッションが好き。
表現することが好き。
私もうすぐ誕生日なんだけどな〜
カメラ欲しいな〜
って、呟いておこう! 笑
写真@Sakura Terrace The Gallery Hotel in Kyoto
心の自由。
昨日も今日も湘南は凄い強風で春の嵐って感じ。先月から私自身の心も嵐のように乱れてるな。心が乱れると、すぐに体調や痛みにあらわれる。本当に人の体って精密だと痛感するけど、昔はそれに気が付きもしないほど鈍感に過ごしてたな。
半年くらい前までは痛みが酷くなると”何がいけなかったんだろう”ってすぐに原因を考えてた。そうやって1つ1つの”痛みという現象''に、体が教えてくれているんだから何かに気がつかないとって日々囚われてた。そう、囚われている状態。
同じことでも教えてくれてるんだな!っていう軽やかでシンプルな受けとり方。それはすぐに固く握りしめる手を緩める練習。
私が生まれ育った場所はとっても便利で都会の真ん中で、自然なんて感じられなくて。テレビ塔っていう電波塔の足元に家があって。
便利な環境に慣れていたから、仕事で東京に引っ越した時もなんの抵抗も無かった。ファッションやアートが好きな私は、都会が大好きだった。
でも今ではたまに乗る満員電車で気分が悪くなったりする。
今も感性を刺激される街が好きなのは変わらないけど、住む場所は自然に触れられる海とかが近い場所が良いなって思う。
5年前に心も体も辛い時期が長くてどうしようもなかった時、幼なじみの友達に”今までのオマエにはなかった事をやってみろ。都会育ちだけど本当は都会が合わないのかもしれないぞ”っとアドバイスをもらった。
その1週間後に私はオアフ島ではなく、行った事がなかったハワイ島に3ヶ月近く過ごす為に飛行機に乗った。
その時の生活で自然の中に身をおく事の大切さを実感した。
絶対にこうじゃなきゃダメなんだっていう拘りが多めな私だけれど、身動きがとれないような縛りになるものは少しづつ減らして行こう。
美しいものが好きで、それを何かで表現する時の拘りは私の個性として残しつつ、生きづらさになる拘りは意識的に離して行こう。
”病気を治したい” ”痛みから解放されたい”
長い間体調が良くないといつの間にか生きる目的や目標が、そんな事になって。それじゃ毎日が楽しくなくて、病気は良くなっていかないよって今はわかる。
アメリカから帰国してからの私は、もの凄く自由な状況で。仕事も子育てもない環境で、毎日が自由に過ごせる。安心して体調を整えられる環境を作ってくれる彼に感謝で、毎日をゆっくり過ごしている。
環境がどれほど自由でも人は心が自由じゃないと自由じゃなくなる。ある程度の拘束がないと自由が感じられない、本当の自由がわからなくなる。少し不自由なくらいで安心さえ覚える。
”キミが自由に決められるんだよ”
いざ、そう言われると慌てちゃうんだよね。
いきなり、そうなんだ!って重ね着してたものを脱ぎ捨てるのは勇気がいるし、どうやるの?って感じだけど。それでも、1枚づつ腑に落としながら脱ぎ捨てていく。
脱ぎ捨てなきゃ、楽しまなきゃ、病気が治らなきゃ、この場所じゃなきゃ。
そうやってつい、手を握りしめる習慣がまた私を不自由にさせる。それでも、また手を緩めていく。力を抜いていく。その繰り返しだよ。
写真@Sedna
穏やかに、浮かぶ。
わかりたい
結果が出したい
成長したい
そう思う時、自分の中では
白なのか黒なのか、右なのか左なのか、正しいのか間違っているのか、判断しては答えみたいなものを探す。そしていつも極端にどちらかを選択する。曖昧さに落ち着かず、一体どちらなんだと激しく心が波打つ。
それは「いつも闘っている」っという感覚だし、相手は自分自身。
その度に疲れるなっと落ち込む。
少し前までならそこで終わって、また繰り返す。今もそれをやってしまうけれど、少し時間をかけてみるとこんな言葉が湧き上がってくる。
「自分で勝手に追い込んで、1人で闘って疲れて、止めたらいいのに何をそんなに恐れているんだよ」
自分に呟いて宥めて、苦笑い。
そんな時に大好きな11才と2才の甥っ子達と触れ合うと、涙がポロポロ出てくる。
私の中にある何かがホッとして、力が抜けていく。
「そうやっていつも全ての物事に白か黒を求めるけど、世の中は白でも黒でもないグレーな事ばかりなんだ。グレーを知りなさい」
そう言われたことが何度かあった。
曖昧さという不安定な波にプカプカと浮かんだり、乗りこなす柔軟さ。グレーというか自分にとって穏やかに浮かんでいられる透明な波。その透明な波が打ち寄せるbeachで、太陽を感じてちょっとニコニコしちゃう、そんな自分を目指したい。
極端に白か黒かと焦り、右か左かと全力疾走して激突し、負傷して。ハッキリしない事が前に進んでいない気がして怖いんだ。白と決めたらずっと白なんだと、変化する事にも抵抗を感じる。変化する自分も他人も、変化しない自分も他人も、どちらにもザワザワして。
カオスだけれど、一途だよな。
極端で負傷するけれど、行動力はあるよな。
っと自分を宥めて、また苦笑い。
苦笑いしてフッと緊張感が解けて、感じる。
もうすぐ春が来るんだなって。
今日の写真@Lanikai Beach in Hawaii
繋げていく。
私がロサンゼルスで暮らしていた時、こんな話をしてくれた人がいる。
「もうダメだと思う時が何度かあったとしても、キミならやり遂げられる。粘り強く、焦らず、自分に嘘をつかないで、自分の感覚を信じて。自分以外の力も信じて。少しづつ少しづつ前に進めば良いんだよ。そしていつか乗り越えられた時に、今度はキミが誰かにこの事を話してあげるんだよ。昔、私もそう話してもらったことがあったんだ。」
私はその頃リウマチの激しい痛みで、もう心も体も限界にきていて帰国することを決断しようとしていた。その時に急に目の前に現れた人にそう、言われた。
不思議だけれど、限界だと思った心が救われると限界だと思った体も、少し楽になってた。帰国したのはそれから1年くらい経ってからだった。
それほどに人の体は心に反応して、心は体に影響を与える。
言語や国籍や性別や年齢や環境や生き方が全く違ったとしても、人は心を通わすことができる。心をすくい上げることができる。
親しくなって複雑に感情が入り混じると、本質が曇ってしまって煩わしさを感じることがあるけれど。その自分の中で感じている心地悪さの中に”わかり合いたいのにわかり合えない”寂しさがあったりする。その寂しさは他人と関わるからこそ光が当たり、自分が自分自身とどう付き合っているかを見ることになる。
他人に傷つけられたり、救われたりするだけじゃなく、自分が自分に傷つけられたり、救われたりする。
他人と関わるからこそ、自分を知ることが出来る。
自分たちが思っている以上に、皆んな誰かの心を救っていたりする。そうやって誰かが誰かに繋げて、循環していくんだ。
そうやって自分が自分を循環させていくんだ。
今日の写真@Union Station in LA