Self discovery

それでもまた、花は咲く。

京都へ行く。

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京都に行ってきました。


HANANINGEN KYOTOをされている写真家、秋月さんの1DAYカメラ講座に参加したくて。
写真を撮るのは好きだけどカメラは持っていなくて、私は今のところiPhoneだけで撮っている。


アメリカで過ごしていた時も、撮りたいと思うけど体が痛すぎてiPhoneを構えることも出来なくて。撮りたいという気持ちも薄れてしまった。
友達の一眼レフを持たせてもらってもカメラが重いと感じ、私には無理だなぁって。

 

体調が良くなるにつれて、痛みは残りつつも写真を少しづつでも撮りたいという気持ちがやっぱり湧いてくる。

 


SNSで色んな人が発信している言葉と同じくらい、目にとまった写真はジックリみる。
何でもない様に思える写真から、何か物語や空気感、声や想いが聞こえてきそうな写真をみると、写真だけにもいいね、を押したりする。

 

言葉以上に写真から伝わってくるものが好きだなぁって感じることが、よくある。

 

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花も写真もファッションも、好きだなぁって思うことはやっぱり、私は拘りたくなるし追求したくなるんだよね。

 

今回まだ自分のカメラを持っていないのにこのカメラ講座に急に参加したのは、カメラで写真が撮りたいと思っていた気持ちに”痛みがある”という理由で諦めていたくなかったから。

それと秋月夫妻に魅かれるものがあったから。

等身大の2人の姿をSNSで垣間見ている中で、光も闇も含めて私も頑張ろうみたいな気持ちになるっというか。
そしてHANANINGENという花を扱う活動をしているからだろうな。

 

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色々な空間を作る楽しさ、花が持つ人を幸せにする力、癒す力、同じ表情が1つとしてない美しさ、花開いていく過程、無数の色や形や香り、そういう部分が好きで私は花の仕事をしていたなっと。


それと、自分の感性で創り出す喜び、表現する自分も、好きなんだって再認識する。

 

花が好き。
写真が好き。
ファッションが好き。
表現することが好き。

 

私もうすぐ誕生日なんだけどな〜
カメラ欲しいな〜
って、呟いておこう! 笑

 

 

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写真@Sakura Terrace The Gallery Hotel in Kyoto

 

心の自由。

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昨日も今日も湘南は凄い強風で春の嵐って感じ。先月から私自身の心も嵐のように乱れてるな。心が乱れると、すぐに体調や痛みにあらわれる。本当に人の体って精密だと痛感するけど、昔はそれに気が付きもしないほど鈍感に過ごしてたな。

半年くらい前までは痛みが酷くなると”何がいけなかったんだろう”ってすぐに原因を考えてた。そうやって1つ1つの”痛みという現象''に、体が教えてくれているんだから何かに気がつかないとって日々囚われてた。そう、囚われている状態。

同じことでも教えてくれてるんだな!っていう軽やかでシンプルな受けとり方。それはすぐに固く握りしめる手を緩める練習。

 

私が生まれ育った場所はとっても便利で都会の真ん中で、自然なんて感じられなくて。テレビ塔っていう電波塔の足元に家があって。

便利な環境に慣れていたから、仕事で東京に引っ越した時もなんの抵抗も無かった。ファッションやアートが好きな私は、都会が大好きだった。

でも今ではたまに乗る満員電車で気分が悪くなったりする。

今も感性を刺激される街が好きなのは変わらないけど、住む場所は自然に触れられる海とかが近い場所が良いなって思う。

 

5年前に心も体も辛い時期が長くてどうしようもなかった時、幼なじみの友達に”今までのオマエにはなかった事をやってみろ。都会育ちだけど本当は都会が合わないのかもしれないぞ”っとアドバイスをもらった。

その1週間後に私はオアフ島ではなく、行った事がなかったハワイ島に3ヶ月近く過ごす為に飛行機に乗った。

その時の生活で自然の中に身をおく事の大切さを実感した。

絶対にこうじゃなきゃダメなんだっていう拘りが多めな私だけれど、身動きがとれないような縛りになるものは少しづつ減らして行こう。

美しいものが好きで、それを何かで表現する時の拘りは私の個性として残しつつ、生きづらさになる拘りは意識的に離して行こう。

 

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”病気を治したい”  ”痛みから解放されたい”

長い間体調が良くないといつの間にか生きる目的や目標が、そんな事になって。それじゃ毎日が楽しくなくて、病気は良くなっていかないよって今はわかる。

 

アメリカから帰国してからの私は、もの凄く自由な状況で。仕事も子育てもない環境で、毎日が自由に過ごせる。安心して体調を整えられる環境を作ってくれる彼に感謝で、毎日をゆっくり過ごしている。

環境がどれほど自由でも人は心が自由じゃないと自由じゃなくなる。ある程度の拘束がないと自由が感じられない、本当の自由がわからなくなる。少し不自由なくらいで安心さえ覚える。

 

”キミが自由に決められるんだよ”

いざ、そう言われると慌てちゃうんだよね。

いきなり、そうなんだ!って重ね着してたものを脱ぎ捨てるのは勇気がいるし、どうやるの?って感じだけど。それでも、1枚づつ腑に落としながら脱ぎ捨てていく。

 

脱ぎ捨てなきゃ、楽しまなきゃ、病気が治らなきゃ、この場所じゃなきゃ。

そうやってつい、手を握りしめる習慣がまた私を不自由にさせる。それでも、また手を緩めていく。力を抜いていく。その繰り返しだよ。

 

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 写真@Sedna

 

 

 

 

 

 

穏やかに、浮かぶ。

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わかりたい

結果が出したい

成長したい

 

そう思う時、自分の中では

白なのか黒なのか、右なのか左なのか、正しいのか間違っているのか、判断しては答えみたいなものを探す。そしていつも極端にどちらかを選択する。曖昧さに落ち着かず、一体どちらなんだと激しく心が波打つ。

 

それは「いつも闘っている」っという感覚だし、相手は自分自身。

 

その度に疲れるなっと落ち込む。

少し前までならそこで終わって、また繰り返す。今もそれをやってしまうけれど、少し時間をかけてみるとこんな言葉が湧き上がってくる。

 

「自分で勝手に追い込んで、1人で闘って疲れて、止めたらいいのに何をそんなに恐れているんだよ」

自分に呟いて宥めて、苦笑い。

 

 

そんな時に大好きな11才と2才の甥っ子達と触れ合うと、涙がポロポロ出てくる。

 

私の中にある何かがホッとして、力が抜けていく。

 

 

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「そうやっていつも全ての物事に白か黒を求めるけど、世の中は白でも黒でもないグレーな事ばかりなんだ。グレーを知りなさい」

そう言われたことが何度かあった。

 

 

曖昧さという不安定な波にプカプカと浮かんだり、乗りこなす柔軟さ。グレーというか自分にとって穏やかに浮かんでいられる透明な波。その透明な波が打ち寄せるbeachで、太陽を感じてちょっとニコニコしちゃう、そんな自分を目指したい。

 

 

極端に白か黒かと焦り、右か左かと全力疾走して激突し、負傷して。ハッキリしない事が前に進んでいない気がして怖いんだ。白と決めたらずっと白なんだと、変化する事にも抵抗を感じる。変化する自分も他人も、変化しない自分も他人も、どちらにもザワザワして。

 

カオスだけれど、一途だよな。

極端で負傷するけれど、行動力はあるよな。

っと自分を宥めて、また苦笑い。

 

苦笑いしてフッと緊張感が解けて、感じる。

 

 

もうすぐ春が来るんだなって。

 

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 今日の写真@Lanikai Beach in Hawaii

 

 

 

 

 

繋げていく。

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私がロサンゼルスで暮らしていた時、こんな話をしてくれた人がいる。

 

「もうダメだと思う時が何度かあったとしても、キミならやり遂げられる。粘り強く、焦らず、自分に嘘をつかないで、自分の感覚を信じて。自分以外の力も信じて。少しづつ少しづつ前に進めば良いんだよ。そしていつか乗り越えられた時に、今度はキミが誰かにこの事を話してあげるんだよ。昔、私もそう話してもらったことがあったんだ。」

 

私はその頃リウマチの激しい痛みで、もう心も体も限界にきていて帰国することを決断しようとしていた。その時に急に目の前に現れた人にそう、言われた。

不思議だけれど、限界だと思った心が救われると限界だと思った体も、少し楽になってた。帰国したのはそれから1年くらい経ってからだった。

 

それほどに人の体は心に反応して、心は体に影響を与える。

 

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言語や国籍や性別や年齢や環境や生き方が全く違ったとしても、人は心を通わすことができる。心をすくい上げることができる。

 

親しくなって複雑に感情が入り混じると、本質が曇ってしまって煩わしさを感じることがあるけれど。その自分の中で感じている心地悪さの中に”わかり合いたいのにわかり合えない”寂しさがあったりする。その寂しさは他人と関わるからこそ光が当たり、自分が自分自身とどう付き合っているかを見ることになる。

他人に傷つけられたり、救われたりするだけじゃなく、自分が自分に傷つけられたり、救われたりする。

他人と関わるからこそ、自分を知ることが出来る。

 

自分たちが思っている以上に、皆んな誰かの心を救っていたりする。そうやって誰かが誰かに繋げて、循環していくんだ。

 

 

そうやって自分が自分を循環させていくんだ。

 

 

今日の写真@Union Station in LA