Self discovery

それでもまた、花は咲く。

穏やかに、浮かぶ。

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わかりたい

結果が出したい

成長したい

 

そう思う時、自分の中では

白なのか黒なのか、右なのか左なのか、正しいのか間違っているのか、判断しては答えみたいなものを探す。そしていつも極端にどちらかを選択する。曖昧さに落ち着かず、一体どちらなんだと激しく心が波打つ。

 

それは「いつも闘っている」っという感覚だし、相手は自分自身。

 

その度に疲れるなっと落ち込む。

少し前までならそこで終わって、また繰り返す。今もそれをやってしまうけれど、少し時間をかけてみるとこんな言葉が湧き上がってくる。

 

「自分で勝手に追い込んで、1人で闘って疲れて、止めたらいいのに何をそんなに恐れているんだよ」

自分に呟いて宥めて、苦笑い。

 

 

そんな時に大好きな11才と2才の甥っ子達と触れ合うと、涙がポロポロ出てくる。

 

私の中にある何かがホッとして、力が抜けていく。

 

 

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「そうやっていつも全ての物事に白か黒を求めるけど、世の中は白でも黒でもないグレーな事ばかりなんだ。グレーを知りなさい」

そう言われたことが何度かあった。

 

 

曖昧さという不安定な波にプカプカと浮かんだり、乗りこなす柔軟さ。グレーというか自分にとって穏やかに浮かんでいられる透明な波。その透明な波が打ち寄せるbeachで、太陽を感じてちょっとニコニコしちゃう、そんな自分を目指したい。

 

 

極端に白か黒かと焦り、右か左かと全力疾走して激突し、負傷して。ハッキリしない事が前に進んでいない気がして怖いんだ。白と決めたらずっと白なんだと、変化する事にも抵抗を感じる。変化する自分も他人も、変化しない自分も他人も、どちらにもザワザワして。

 

カオスだけれど、一途だよな。

極端で負傷するけれど、行動力はあるよな。

っと自分を宥めて、また苦笑い。

 

苦笑いしてフッと緊張感が解けて、感じる。

 

 

もうすぐ春が来るんだなって。

 

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 今日の写真@Lanikai Beach in Hawaii

 

 

 

 

 

繋げていく。

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私がロサンゼルスで暮らしていた時、こんな話をしてくれた人がいる。

 

「もうダメだと思う時が何度かあったとしても、キミならやり遂げられる。粘り強く、焦らず、自分に嘘をつかないで、自分の感覚を信じて。自分以外の力も信じて。少しづつ少しづつ前に進めば良いんだよ。そしていつか乗り越えられた時に、今度はキミが誰かにこの事を話してあげるんだよ。昔、私もそう話してもらったことがあったんだ。」

 

私はその頃リウマチの激しい痛みで、もう心も体も限界にきていて帰国することを決断しようとしていた。その時に急に目の前に現れた人にそう、言われた。

不思議だけれど、限界だと思った心が救われると限界だと思った体も、少し楽になってた。帰国したのはそれから1年くらい経ってからだった。

 

それほどに人の体は心に反応して、心は体に影響を与える。

 

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言語や国籍や性別や年齢や環境や生き方が全く違ったとしても、人は心を通わすことができる。心をすくい上げることができる。

 

親しくなって複雑に感情が入り混じると、本質が曇ってしまって煩わしさを感じることがあるけれど。その自分の中で感じている心地悪さの中に”わかり合いたいのにわかり合えない”寂しさがあったりする。その寂しさは他人と関わるからこそ光が当たり、自分が自分自身とどう付き合っているかを見ることになる。

他人に傷つけられたり、救われたりするだけじゃなく、自分が自分に傷つけられたり、救われたりする。

他人と関わるからこそ、自分を知ることが出来る。

 

自分たちが思っている以上に、皆んな誰かの心を救っていたりする。そうやって誰かが誰かに繋げて、循環していくんだ。

 

 

そうやって自分が自分を循環させていくんだ。

 

 

今日の写真@Union Station in LA